小説『骨、語る』

はじめに

 日本も含めて西側自由主義陣営では、社会主義国は自由のない独裁体制なのだと聞かされる。ソ連、中国、北朝鮮など。私も学校でそう教えられた。
「どうですか、皆さん。あんな自由のない国で暮らしたいですか? ちょっと口が滑っただけで収容所に入れられて、死ぬまで奴隷のような強制労働ですよ。戦後の日本は、自由で豊かな、素晴らしい国になりました。皆さんは日本に生まれて、ほんとうによかったですね。間違えて中国や北朝鮮に生まれていたら、それこそ大変な目に遭うところでしたよ」。
 強制収容所。それが社会主義国のシンボルだ。その惨状を聞けば、左翼でさえ震え上がる。ソ連のようになりたくない。中国や北朝鮮のようになりたくない。だから日本や欧米の左翼は、本心では革命なんて望んでいない。「資本主義のままでいい。それに対していくらか批判的なポーズをとっておけば、左翼としての面目は立つ」。あるいは「社会主義なんて気の遠くなるような先の話だ。今はまだ資本主義を少し改良するだけでいい」。彼らの本音はそんなところだろうか?
 そうこうするうち、社会主義陣営の盟主たるソ連は、あっけなく滅んだ。それを見て、やっぱり社会主義は資本主義よりも劣っていたんだと、誰もが納得した。しかし、世界中から憎まれた「悪の帝国」が地上から消え去って、それでこの世界は少しはよくなったのだろうか?

 ところで、強制収容所なら、日本にだってある。ブラック企業がそれだ。1990年代半ばから2000年代初頭にかけて、私はそこに6年間閉じ込められた。月曜の朝出勤したら、土曜の夜まで家に帰してもらえない。連日、夜中の2時、3時までサービス残業で、極度の睡眠不足に悩まされた。言っておくが、これは東証1部上場企業での話だ。
「職業選択の自由があるのだから、さっさと転職すればいいじゃないか」と言うだろうか? 職業選択の自由はあっても、自由な職業はないのに? 仮にあったとしても、その門戸は固く閉ざされているのに? 多くの場合、転職すればするほど、労働条件は悪くなっていくのに? すべて自己責任とされる規制緩和のこの時代に、自力でブラック企業から抜け出すことは、そう簡単ではないのだ。
 マリー・アントワネットは「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」と言ってギロチンにかけられた。「いやなら辞めて他の仕事に就けばいいじゃないか」などと言う者も、同じ運命をたどるがいい。新自由主義とかグローバリズムとか言ってこのまま格差が広がれば、「独裁でもいいから、まともな職をよこせ!」と、そのうち革命が起こるに違いない。そのとき「ソ連や中国のようになりたいのか?」と言ったところで、ソ連はもう存在しないし、中国はそのころにはアメリカを抜いて世界一の大国になっているかもしれない。

 私が体験したブラック企業での6年間は、まさに地獄のような日々だった。生きた心地がしなかった。なぜ敵意と侮蔑でこんなにも人を鞭打つ必要があるのか? おかげで何もかも失った。プライドの欠片も残されなかった。残ったのは空虚な心、ただそれだけ。しかし、こんなことを告白すると意外に思われるだろうが、あの会社で切り刻まれた6年間より、そこを辞めて立ち直ろうとした4年間の方が、はるかにつらかった!
 会社を辞めてしばらくたった頃から、毎晩のように悪夢にうなされるようになった。上司の前に1時間、2時間、立たされて罵声を浴びせられるのは、じりじりと炎にあぶられるようだった。はっと目覚めたとき、背中にじっとりと汗をかいていた。目が覚めてからも、あれがああだったら、これがこうだったらと、天を呪うことばかり考えた。この先、どうやって生きていけばいいのか、途方に暮れた。すっかり世の中からはじき出されてしまった気がして、その惨めさが日ごとに募っていった。
 このままではダメだ。何とかしなければ。そこで私は奮起した。自分の体験を小説に綴ろう。しかも、惨めなありのままにではなく、こうだったらよかったのにと理想化した形で。それを自分で信じ込めばいいのだ。私は屈しなかった、立派に闘った、あの体験には意義があったのだ、と。

 やるとなったら徹底的にやる質だ。当初は3部作にするつもりだった。第1部『骨、語る』、第2部『血、湧く』、第3部『肉、躍る』。こういう題のつけ方は、かつてあこがれた開高健の影響だろう。『玉、砕ける』とか。
 第1部の『骨、語る』を書き終えたのは、2006年の春だった。書き始めてから4年が経っていた。それは400字詰め原稿用紙1,000枚の束になった。そして私は、そこで力尽きた。書き上げた原稿を出版社に送っても、まるで相手にされなかった。それは最初から分かっていたことだ。無名の新人は、まずは短編か中編を書いて、行儀よく新人賞に応募するのがセオリーだ。1,000枚の長編をいきなり送り付けるのは、身の程知らずもいいところだ。出版なんて夢は見てはいけない。それより、書き上げたことそのものに意義がある。私はそのことにすがすがしささえ覚え、すっかりあの忌まわしい記憶を別のものに差し替えることに成功した。
 それで、どうする? この続編。『血、湧く』と『肉、躍る』を書くのか? いや、もう無理だろう。根が正直だから、自分で自分の記憶を改竄するにも、限度があった。あるいは想像力の枯渇と言うべきか。それよりも、この現実の世界に、真実の物語を綴りたかった。ありのままの自分ではダメなのか?
 その少し前、思い切って都会の生活を捨て、「ど」がつく田舎に引っ越していた。今も住む海辺の小さな町だ。これでいつでも釣りに行ける。そう思うと、却って釣りから足は遠のいていた。少しは息苦しさから解放された今、そろそろそれを再開しようじゃないか。「失われた10年」のことは忘れて、人生をやり直すのだ。少しは今までの自分と変われるだろうか。でも、多少の背伸びは必要かもしれない。では、ヒラマサとかヒラスズキとか、大物に挑戦するっていうのはどうだろうか。いつか解放されて自由の身になったら、やってやろうと思っていたんだ。

 傍らに、かつてあんなにも愛したリールがあった。ABUアンバサダー5500C。長年の放置で、クリックホイールが錆びつき、ドラグが固着してしまっていた。まずはそれを修理しなければならなかった。しかし製造元のABU社はすでに滅んでいた。そのことを知ってショックだった。あのABUが? いったい何が起こったんだ? これで名機アンバサダーの歴史は終わりなのか? そこで私は自分と5500Cを重ね合わせた。いいや、終わりなものか。これからおまえと一緒に再起を図ろうじゃないか。
 そのことをインターネット上に情報発信したらどうだろう? 今の自分に必要なのは、誰かと共感し合い、繋がることだ。折しも海でベイトタックルというのが着目され始めたころだった。敢えてベイトタックルで行くのだと、同じ思いを心に抱いている人もいるのではないか? でも、私はもはや旧世代に属するアングラーで、四半世紀も前に生産が終わったリールについての話を、いったい誰が興味を持って読んでくれるだろう?
 それがこのサイトの前身、“さよなら、アンバサダー”だった。2006年の11月に公開してからしばらく経つと、そのページには毎日100人程度の来訪者があった。読者がいると思えばこそ、8年間続けることができた。ありがとう、読んでくれた人たち!
 この小説『骨、語る』と、“さよなら、アンバサダー”に救われて、私は何とか立ち直ることができた。

 次ページ以降の本文は、“さよなら、アンバサダー”に掲載していたものの再掲載だ。誤表記の修正以外の変更は加えていない。
 ところで、小説中に登場する架空のブラック企業「トランザクション株式会社」は、実在する東証1部上場の「株式会社トランザクション」とは無関係だ。私が小説を書き上げたのは2006年。いっぽう「株式会社トランザクション」は、2007年に社名を変更して現社名になった。このことからもわかるとおり、社名の一致は偶然のものであり、私が体験したブラック企業が「株式会社トランザクション」なのでは決してない。この点は誤解のないようにお願いしたい。