第7章

(1)

 その年の秋が深まる頃には、士郎は何かに取り憑かれたように、言葉を原稿用紙に刻みつけていた。その衝動力に従うことが、最も自然で自由と感じた。それが自分自身を解放する手段であり、目的でもあった。その時原稿用紙は、士郎の全てを受け止める無限の対象となり得た。思考の世界と現実の世界が混沌と混ざり合う境地に、士郎は存在していた。
 士郎は自己完結していた。他の何者をも必要とせず、冬子の存在さえ忘れ、寄せ付けない雰囲気を身にまとった。ペンが止まっている時でさえ、ぼうっと放心しているように見えて、その息づかいからは極度の緊張感が伝わってきた。事実、そんな時の士郎は、空を切り裂くような険しい視線を放ち、めらめらと心に炎を燃やしているようだった。冬子が諦めて先に眠ろうと思っても、「お休みなさい」のひと言さえはばかられた。奇行と言える行動もあった。深夜まで執筆し、疲れ切って眠っても、夜中に目を覚まし、慌てて原稿用紙に向かうのである。士郎は夢の中でさえも何かのイメージを捕まえることがあった。
 憎しみは強い感情である。そして尊い感情である。士郎はそう信じていた。今の士郎を支えているものは、田宮に対する、早川に対する、そしてトランザクション株式会社に対する、言いようのない憎しみだけだった。士郎はその憎しみを、ペンの力を頼りに、ひたすら打ち鍛え、研ぎ澄ませた。それがこの瞬間の、士郎の生き様であり、存在の証であった。
 士郎自身にさえも不思議に思えた。その感情は枯れもせず、風化もせず、書けば書く程、こんこんと湧いてくるのである。自分の心の中に、無尽蔵とも言えるマグマの灼熱を感じた。そしてそれを士郎は自分の魂そのものと思って、守り抜くつもりでいたのである。
 その一方で、強過ぎるその感情は士郎の心を蝕み、肉体を著しく消耗させてもいた。数ヶ月の間に士郎の側頭部に白髪が目立つようになり、頬がこけ、表情は気難しい老人のようになっていった。
 冬子は士郎の変貌に怯えながら、隣の部屋で気配を殺して、見守っていた。その頃には士郎は冬子に対してほとんど口を利かなくなっていた。士郎からの愛情の表現と思われるものは一切なくなった。士郎の心が憎しみに支配されていることは、冬子には分かり過ぎるぐらいに分かっていた。一緒にいながら士郎の心を占めているものは自分への愛ではない。それが冬子を堪らなく不安にした。このままでいいのか。何とかしなくては。冬子の気持ちは揺さぶられた。
 しかしこの状態は、原稿の完成とともに終わるのだとも冬子は考えた。そう長くは続かない。だから今はそっと見守る時なのだ。それが士郎を信じるということだし、自分に与えられた役割なのだとも思えた。その代わり、士郎の原稿が完成したら、本になってもならなくても、2人の時間をたっぷり取ろう。そう、海外旅行がいい。ハワイかグアムでもいいし、タイやベトナムでもいい。とにかく難しいことを考えずに、2人だけでのんびりできるところがいい。会社の帰りに旅行会社の前を通ると、必ず冬子はそこで立ち止まり、熱心にパンフレットを漁った。そして部屋に持ち帰って、一心にそれらを眺めて秋の夜長を過ごすのだった。
 旅行の空想にこんなにも熱中する自分が不思議な気もした。孤独の殻に閉じこもって過ごした6年の間、休暇のたびに海外旅行に熱中する同僚たちを、冬子は冷ややかに眺めていたはずだ。海外旅行なんかの何がそんなに楽しいのか。ボーナスのほとんどをそこにつぎ込むような価値があるのか。しかし今なら冬子にも分かるような気がする。旅行は将来への架け橋なのだ。そうやって未来を繋ぎ止めようと、今や冬子も必死になっているのだった。
 そこに罠があった。冬子はそこへ落ちた。先への期待を膨らませれば膨らませる程、現状への不満が募った。その不満は、士郎とじっくり話し合わなくてはならないという、心の圧力を生んだ。そしてその衝動は、士郎の方でもそれを待ち望んでいるに違いないという、一方的な期待に繋がってゆく。自分の心の中に苦しみがあり、その苦しみを相手も取り除きたがっていると思うのは、しかし、論理に飛躍があった。それは甘えであった。そう、冬子は士郎に甘えたかったのだ。ただ自分の気持ちを受け止めて欲しかっただけなのだ。しかしその気持ちが不満となって蓄積すれば、自ずと攻撃的な色合いを帯びる。もはや2人が衝突するのは時間の問題だった。
 その戦端を、図らずも、冬子の方から開くことになった。
 日曜日だった。冬子は朝から隣の部屋で息を潜め、うずくまるようにして、旅行会社のパンフレットをめくっていた。しかし頭の中では別のことを考えていた。昨日もほとんど丸1日をそうやって過ごし、士郎と話すチャンスを待ったが、それは巡ってこなかった。今日は自分の方からそのチャンスを作らなくてはならない。そのための話題は何がいいか。今すぐ海外旅行に誘うのは拒まれる。一度それをやって、原稿が完成するまでは行かないと言われた。その結果、白浜へドライブに行ったのだ。では、原稿が完成したらどこに行くかというふうに話を切り出せば? それなら話が弾んで楽しい会話ができるかもしれない。
 冬子は早速コーヒーを入れ、士郎を休憩に誘った。
 士郎は無言で食卓に座った。身体は食卓に座っても、心はまだ原稿に没頭しているようだった。
「随分熱中しているのね」
 冬子がそう話しかけても、士郎は上の空だった。
「ねえ、原稿が終わったら、2人で旅行なんてどうかしら?」
 士郎は「うん」と答えた。
「思い切って海外に行きましょうよ。どこがいいかしら?」
 冬子は士郎の答えを待った。
 士郎は冬子の話を聞いていないのか、何も答えない。1分か2分、沈黙が続いた。冬子はその間じっと士郎の顔を見ていた。その気配が伝わり、士郎は顔を上げた。
「え、何?」
 士郎は冬子の話を聞いていなかった。そのことに対する不満が冬子をそそのかし、予定外の言葉を誘った。
「士郎さん、原稿は少しおいた方がいいんじゃないかしら。今の士郎さんは憎しみに囚われ過ぎているわ」
 士郎は手許のカップに目を落とし、小さく溜息をついた。
「憎しみという感情には程度の問題はあり得ない。従って憎しみに囚われ過ぎるというのはあり得ない」
 それはまだ冬子の知らぬ、士郎の頑なさだった。それまで冬子の目には、士郎の本質は忍従と映っていた。初めて出会った時、士郎が漂わせる哀愁に胸をかきむしられるような気がした。ぎらぎらしたところのない儚さは、冬子の心に共鳴を生じさせた。心と心が静かに重なり合う切なさが、あの時、冬子を衝き動かしたのだ。だから冬子には今、理屈を振りかざして我を張る士郎を理解できなかった。
「ねえ士郎さん。人を憎んでも、幸せにはならないわ」
 冬子がそう言うと、士郎はまるで汚いものを見るような冷たい目で冬子を見た。
 冬子は慌てた。そしてはっと気づいた。自分が今口にした言葉は、かつて冬子が友人から言われ、必死になって否定した言葉だった。その冬子を、士郎はあの時心から支持してくれた。にもかかわらず、今、冬子自身がその言葉を士郎に向かって浴びせたのである。士郎の怒りは当然だった。冬子は言い訳を口にした。
「ねえ、聞いて。私ね、もう憎しみを忘れたいの。そろそろ自分の幸せを考えたいのよ。だって、そうでしょう? いつまでも人を憎んでいても、幸せにはなれないわ」
 士郎は黙ったままだった。だから冬子はもう一度言った。
「もう人を憎むのには疲れたのよ。あの人が今どこで何をしているのか、私には分からない。私の800万円がどうなったのかも分からない。もしかしたらあの人は、どこかで誰かと幸せに暮らしているのかもしれない。でも、もういいのよ。私だけが幸せになれないなんて、損だわ。士郎さんだって、いつまでも人を憎んでいられるわけじゃないでしょう?」
 士郎は冬子を見ようともせず、ぶっきらぼうに答えた。
「おれは、許さない」
 冬子はその言葉に身体を刺されたように、ひっと短く息を漏らした。そして冬子の目に涙があふれた。
 その時士郎は、冬子とではなく、自分自身と向き合っていた。今言った自分の言葉の意味を、士郎はそこにのめり込むように考えた。
 半分は、田宮や早川に対する思いだった。そこでの退却は士郎には絶対にあり得なかった。士郎は生身で闘ったのである。ぼろぼろになり、へとへとになった。もしかしたら勝ったとは言えないかもしれず、負けたとさえ言えるのかもしれなかった。それでも士郎はあの闘いを忘れようなどとは思ったこともなかった。そんなふうに思うのならば、そもそも闘いなど挑まない方がましだった。その一点だけは、己の魂をかけて譲れない。
 しかし、もう半分では、それはやはり冬子に対するものだった。冬子は士郎の誇りを汚したのだ。士郎は物事の損得だけで生きているわけではない。士郎の心はそれほど便利にはできていない。そのことを士郎はむしろ誇りに思っていた。士郎の美学と言っていい。もしこれまで損得で生きてきたのであれば、今頃士郎は原稿用紙にしがみついてなどいない。それを冬子が理解しないのが、士郎には許せなかったのである。士郎は大いに侮辱されたと感じたのだ。
 士郎が思考の世界から現実の世界に舞い戻った時、目の前で冬子は涙を流していた。士郎は冬子が何かを待っていると思った。それは士郎の言葉に違いなかった。だから士郎は、追い打ちをかけるように、冬子に言った。
「憎しみは尊い感情だ。これは譲らない。誰にも譲らない」
 そう言い残すと、士郎はテーブルを立ち、部屋に戻って原稿の続きに取りかかった。

(2)

 冬子は泣きながら流しでカップを洗い、涙を拭いて士郎の背中を通り過ぎ、奥の部屋の襖を閉めた。襖一枚では士郎の無言の攻撃から身を守り切れない気がした。いっそ士郎の手で八つ裂きにでもして欲しかった。しかし士郎は隣の部屋で、何事もなかったかのように、静かにペンを走らせていた。そのことが冬子の悲しみを増幅させた。
 冬子は隣の部屋で静かに泣き続けた。しかし自分がいったい何を悲しんでいるのか、よく分からなかった。1時間ばかり泣き続けて、涙が涸れた。すると少しは冷静になれた。
 士郎が自分に何か酷い仕打ちをしたか? まずはそう考えてみた。答えは否であった。士郎が原稿に専念しているのは、むしろ冬子が勧めたことだった。そのために会社を辞めることを提案したのは冬子である。士郎は冬子の提案を受け容れて、原稿に専念しているのだ。
 では、何かが足りないのか? 例えば自分に対する士郎の愛とか。こちらの方が現実に近い気がした。このところ士郎は原稿に没頭するあまり、2人の間に会話もなく、微笑みさえないのである。このことは大いに冬子の不満となっていた。
 士郎は、冬子が当初思ったよりも、強固な独自性を持っていた。心の中に異質に硬いものがある。それは紙の箱の中の石ころを思わせる。強く揺さぶると箱の方が壊れるような、危うい気がするのだ。そこに歯が立たず、冬子には為す術がない。
 しかし、それだけのことで、こんなにも悲しくなるのか? そのことを冬子は考えてみた。今、士郎が原稿に没頭しているのは、完成するまでの一時のことである。今は著しく消耗しているが、原稿さえ書き終えれば士郎の体力と気力は回復し、2人の間には愛情が戻ってくるに違いなかった。待つと言っても、おそらくはわずか数ヶ月のことだ。それが待てなくて、こんなにも悲しくなるというわけではあるまい。
 ではこの悲しみはどこから来るのか? そう考えても、答えは見つからない。そこで少し発想を変えてみた。どこかから来るのではない、初めからそこにあったのだ、と。すると即座に謎が解けた。いくら泣いても泣き足りない悲しみは、士郎に出会う前から冬子の心の中にあったものだ。それは独りぼっちで過ごした6年間の間に、層を成して冬子の心に積もっていた、いわば孤独の悲しみなのだ。
 でも、逆かもしれない。そんな考えも頭に思い浮かんだ。いつからか冬子の心の中に棲み付いた孤独のせいで、自分はこんな女になったのかもしれない。あの6年間のずっと前、まだ少女だった頃から。だからあの6年間を自ら招いたのだとも考えられた。
 どちらが先か、よく分からない。とにかくその孤独を士郎なら埋めてくれそうだと、冬子は期待していたのだ。なのにその期待に士郎が応えてくれない。だから悲しかったのだ。
 所詮は男と女だ。本質的に分かり合うことなどできない。いや、女は男を理解できるかもしれない。でも、男は女を理解できない。理解しようともしない。あるいは理解できないことにさえ気づかないのかもしれない。そこに男に対する女の不満があるのだ。
 とは言っても、冬子にとって、もはや士郎無しの人生など考えられない。当然のように、やがて2人は結婚し、子どもができて、冬子の人生の上に幸せな家庭が築かれると思っている。冬子にはこの道筋が何者かによって阻まれることなど、想像してみることさえできない。
 頭に思い描いたその道筋と現実との間にはギャップがあった。それを埋めるためには何かが必要だった。それは何だろうと思った。答えは自ずと現れた。それは相談相手である。心の内を打ち明けられる相手。冬子の話を聞いてアドバイスしてくれるような相手。もっとはっきり言えば、冬子は女友達が欲しかったのである。
 女同士のおしゃべりの楽しさなど、冬子はすっかり忘れてしまった。そういう女友達が冬子にはひとりもいなかった。かつて友達だと思っていた者たちは、あの6年間のうちに、皆冬子の側から去って行ってしまった。それを今さら呼び戻すことなどできない。今でも会社にはOLたちがたくさんいる。しかしそのほとんどは冬子とはもはや年齢が違い過ぎる。彼女たちは冬子に一目置き、遠巻きにして、近寄っては来ない。いつの間にか冬子はそういう存在になっていた。だから再度、別の場所で、女友達を作り直さなければならない。でも、どうやって? 料理教室にでも通ってみようか。それとも街でガールハントでもすればいいのか。思いつくのはそんな方法だったが、決意した今、そうやって友達を作るだけの自信が冬子にはあった。
 友達さえできれば、いろんなことが相談できる。どうやって士郎の憎しみを解きほぐせばよいかだって、誰かと相談すればよりよい方策を見つけだすことができるかもしれなかった。何でも相談できる、同性の、一生の友達。冬子は心の中でその思いを何度も繰り返していた。
 しかし、そのような考えを抱いたことが、その後、破局をもたらす遠因となることに、この時冬子は全く気づいていなかった。

(3)

 それから何週間か経った。士郎はその頃、不思議な感覚に囚われ始めていた。まるで言葉が出口を求めて殺到するように、万年筆からほとばしり出る。最初の印象とは違って、モンブランのペン先は硬いだけではなかった。硬軟自在に変化する。どっしりと揺るぎない手応えと同時に、しなやかに身をくねらせ、原稿用紙の上で踊った。
 時々、喉の渇きを訴えるように、万年筆がインクを求める。そんな時には士郎は筆記を中断して、インクを飲ませてやる。すると再び言葉を吐き出し始める。万年筆が生きているようだ。士郎は不思議な気持ちで、埋め尽くされてゆく原稿用紙を眺めていた。
 いい状態だ、と士郎は思った。頭に文章が浮かんでくる速度と、万年筆のペン先が紙の上を走る速度が、完全に同調している。文章をひねり出す苦痛など、そこには全くない。万年筆との一体感。息をするように、自然に執筆がはかどる。この状態を失いたくない。士郎はますます無口になり、変化に慎重になった。万年筆を愛し、机を愛し、部屋を愛した。そうすることによって、士郎はますます自己の中に深く浸透していった。
 深夜のある時刻になると、それがぴたりと止まる。士郎はそこに万年筆の満足を感じた。その日1日、原稿用紙の上を何往復もして、気がすんだのである。毎日同じだった。朝から深夜まで、万年筆は原稿用紙の上を走り、気がすむとぴたりと止った。
 日々の作業の内容は、記憶と思考を言葉にして抽出することだった。士郎の意識の中に深く存在するのは、あの時感じた怒りであり、今なお炎を吐き続ける憎しみであった。その生の感情をどのようにして言葉に混ぜ、文章に織り込むか、それは難題だった。しかし、追いかければ逃げようとするその対象を、士郎のモンブランは原稿用紙の上に捉えて逃がさなかった。
 深夜になって1日の執筆が終わると、机の上にごろりと横たわるその万年筆を、士郎はしげしげと眺めた。黒光りする太いボディーが士郎の視線をたっぷりと吸い、ますます太っていくように見えた。キャップに金のリングが嵌め込まれている。そこに誇らしげに刻印がある。
「MONTBLANC-MEISTERSTUCK No149」
 ドイツ製のこの万年筆を、士郎はいつしか目で愛撫するようになっていた。
 毎日が同じサイクルで過ぎていった。士郎はそのサイクルを厳格に守った。そこに余計なものを持ち込んで、バランスを損なうことを恐れた。このまま完成まで突っ走りたかった。何かにひとつつまずいただけで、それは台無しになってしまいそうな儚さがあった。
 その時士郎はいったい何が壊れてしまうと恐れていたのか。それは自分自身の心に他ならない。心の中に何か硬質のものがある。士郎の心を構成する中心核である。それは既に深くひびが入り、いつも憎しみの炎であぶられ、何かちょっとした衝撃で粉々になってしまいそうな危うさがあった。それがかろうじて持ち堪えている間に、原稿を完成させなければならない。急がなければ、士郎の魂の均衡は、いつ崩れてもおかしくない状態にあった。
 冬子の苛立ちを、士郎は察知してはいた。涙の理由も想像が付いた。冬子は幸せを渇望し、不幸を恐れているのだ。もしそうだとすれば、それは愚かなことだ、と士郎は思った。幸せそのものをいくら望んだところで、それは直接には手に入らない。冬子はそこを誤解しているのではないか。あるいは、幸せになるためには、あんな条件や、こんな条件があると考えているのではないだろうか。そしてその条件は、誰かから与えられるものだと思っているのではないだろうか。その条件の欠如をどんなに嘆いてみても、幸せにはなれない。条件さえ満たせば自ずと幸せがやって来るというのは、人生をまるで機械装置か化学反応のように理解しているのだ。
 そうではない、と士郎は強く否定した。守るべき大切なものがあるのだ。どんな代償を払ったとしても、それは守り通さなくてはならない。そのために自分は最大限のことをしているのかどうかを、問うてみなければならない。そこで満足できれば、嘆くことはない。
 それを冬子と共有できればよかったのだ。しかし、文章を書くことは、本来孤独な作業である。その作業を、いくら相手が冬子でも、他人とは共有できない。これは初めから分かり切った、どうしようもないことだ。
 しかし、問題は本当にそこなのか。もっと深い溝が、2人の間にはあるのではないのか。士郎はそう考えてみた。例えば、冬子が今になって憎しみを否定する点はどうだろうか。敵と闘えば、当然、憎いと思う。その憎しみを否定するのであれば、最初から闘うべきではない。では闘いを避けるためには、どうすればよいのか。道はひとつしかない。闘う前に降参することだ。しかし、それでいいのか。諦めて人生を過ごせと?
 士郎の心の中の憎しみを否定するのであれば、今までの士郎のあり様全てを否定するに等しい。それぐらいに士郎と憎しみは一体となっている。そのことを冬子が認めないのだとしたら? そこに冬子の不満があるのだとしたら? それでも冬子は士郎のパートナーと言えるのか。冬子を得た喜びが今では色褪せていた。
 出会ったばかりの頃の胸の高鳴りを、士郎は思い返していた。神秘的と言えばいいのだろうか、冬子は不思議な雰囲気のある、美しい女だった。冬子の運命と自分の運命とが寄り添って同じ場所に行き着いたことを、士郎は信じられない気持ちで受け止めた。それは運命の女神の何という好意的な演出だっただろう。心と心が心地よく触れあい、その肌は柔らかく、深い温もりがあった。
 その冬子の神秘性の本質は何だったろうか? それは美しい容姿の内側で燃え続ける、底深い憎しみだった。それは誇り高い孤高と思えたし、士郎との限りない共感とも思えた。それでも冬子がその憎しみの重荷を下ろしたいというのは分かる。憎しみは強い感情であり、ともすれば自分自身をも焼き尽くしてしまう。しかし、冬子が士郎の憎しみまで否定するのはどうなのか。確かにいつまでも憎しみにすがって生きることはできない。しかし、男には闘いがある。その中で憎しみを燃やし尽くさなければ、士郎は負け犬になってしまう。誇りをかけて、それはできない。
 所詮、男と女は理解し合えない。女の冬子に、男の士郎の心は分からないのだ。だからこれは諦めるしかない。やがて時間が解決してくれるだろう。とにかく早く原稿を仕上げればいいのだ。士郎が大切と思う事柄を、原稿という形を伴ってこの世に生み残すのだ。その後でなら、士郎の側からいくら冬子に譲歩しても構わない。冬子が望むのなら、口に出して言ってやろう。もう憎しみは忘れるのだ、君への愛のために生きるのだ、と。それも冬子へのサービスだ。その代わり今は、冬子のことはしばらく脇に置いて、自分の為すべきことに専念しなければならない。物事には順序とタイミングというものがある。これは守らなければならない。士郎の考えはここに行き着いた。
 しかし、この時士郎が考えた通りには、時間は解決してくれなかった。2人の間に生じた隙間は、時とともに拡大し、そこにもはや乗り越えることのできない事態が割って入ることになるのである。その時士郎の心には憎しみだけが残り、冬子の心には絶望だけが取り残されることになる。