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試運転日の変更

 休日の朝や、出勤前のいっとき、ガレージでボート作りの作業していると、そこを朝の散歩道としている人たちが声をかけてくる。「何を作っているんですか?」とか「進んでいますか?」とか。
 解体屋の会長もその一人だった。ただし彼は散歩ではなくて、事業所の前の通りの清掃だったのだが。自転車にまたがり、火ばさみでゴミを拾う。そして私の作業を見て、私のことを「発明家」と呼んだのだ。会長は、前回と前々回のテスト航海には、ビーチに来てくれた。前々回はズボンをまくって水に入り、出航を手伝ってくれた。前回は途中で見に来て、指笛で合図してくれた。
 しかし会長は急に亡くなった。私と最後の会話をした翌日だったそうだ。地元の新聞に訃報が載ったというが、購読していない私は知らなかった。たまたま知り合いから聞いたのが、その1週間後だった。葬儀にも行けなかった。その翌日の朝の出勤前、お悔やみを言いに解体屋に立ち寄った。大好きだった。会長の励ましがうれしかった。会長にはとても感謝している。だから、今度こそ成功したところを見てほしかった。
 その後も作業は長引いた。道行く人々が言う。「進水式はいつですか?」。私は答える。「今月中かな」。でも、もう、何カ月も同じことを言っている。「じゃあ、日程が決まったら、このシャッターに貼り紙しますよ」。多くの人が楽しみにしてくれた。

型紙

 とうとうスクリュー・プロペラが完成して、進水式およびテスト航海を9月25日と決めた。そして貼り出した。「9月25日。AM10:00。〇×海岸。風中止」。ところがその前夜に台風が沖合を通過し、その日にはまだ風と波が残っていた。当然、中止と判断した。これでよかった。次の日程は公開しない。大勢の人が見守る中、もし失敗したら恥ずかしい。そんなときは、人知れず退散したほうがいい。
 しかし解体屋にだけは伝えた。「今日は中止して、明後日の日曜日にやります」。
 そして9月27日、日曜日、午前10時。解体屋の事務員さんが、犬を連れて見に来てくれた。そこへ通りがかりの、話好きの初老の男性が加わって、見物人は2人と1匹となった。

組立て

 蝶番を多用したことによって、パーツはたった6つで構成される。右船体、左船体、前支柱、後ろ支柱、機関ケース、舵。そこへナットやスペーサー、旗やパドルなどの細かなものが付け加わる。
 パーツ点数が大幅に減少したが、このことには一長一短がある。1ユニットごとの重量が増し、組立ての位置決めが難しくなったのだ。たとえば船体の穴の中にステンレスのパイプを差し込む。最初はいい。しかし次が問題だ。反対側の船体は、船体を持ち上げて、2本のステンレスパイプに船体の穴を合わせる。船体の重さは、前後が蝶番でつながっているため、重量は17kgもある。簡単には差し込めない。
 そういう難点もあり、組立てには45分かかった。
 下の動画はその20倍速での再生だ。目まぐるしいから、観ない方がいいかも。

出航

 そして、その時はやってきた。

 男性が出航を手伝ってくれた。とてもありがたい。気の良い人だった。彼の親父さんが、昔、造船所をやっていた。自分でも子供のころにヨットに乗ったと言った。私が沖に出た後も、丘の上から双眼鏡で見ていて、帰航時にもまた来てくれた。もしかして心配してくれたのだろうか?
 でもね、せっかく美女が見送りに来てくれているのだから、出航時には二人きりにしてほしかったな。そうすれば、あんなことやこんなことも、むふふ、できたかもしれないのに。

テストとデータの収集

 ボートは浮いた。そして進んだ。ここまでは当然だ。気になるのは、今度のボート、どれほどの性能があるのかということだった。さっそく沖に出て、さまざまなテストを行った。

 短距離スプリントの最高速は時速約5km。長時間の巡航可能速度は時速約3km。期待した最低限の速度は出ている。前回の時速2kmも出ない失敗作と比べれば、まあまあと言えるんじゃないか?
 目一杯舵を切った状態で、360°回転は25秒で、最小半径約5m。ペダルの逆回転で、バックもできた。小回りは割りと効く。しかし速度がいまひとつだから、鈍さは否めない。縦横無尽に暴走する水上バイクに怯えながら、この運動性能では、こちらからそれらを回避することは不可能だった。
 パドルでも進む。しかしプロペラによる推進と比べると、格段にパワーは落ち、緊急時用としても心もとない。もっぱら出航時と帰航時の、プロペラが底をするような浅瀬での操船用と、割り切って考えるしかない。
 長時間の運転で、どこも損傷せず、長距離の航行が可能かどうか、試してみた。今日はボートが壊れるか、私の身体が壊れるかするまで、巡航速度で延々と漕ぎ続けてみようと思った。
 耐久性にも問題はなさそうだった。ハンドルのノブの接着が剥がれてぐらついたぐらいで、構造的に破壊された箇所はない。強いて言うなら、まだギアの馴染みが出ず、ガーガーとうるさいことぐらいだ。
 出航して4時間ほど経った時点で、ボートはどこも故障せず、私の身体も壊れてはいなかった。総航行距離は6kmというところか。まだまだ時間はあったが、空腹のために私は動けなくなった。このボート、カロリーを著しく消費する。ある意味、燃費が悪いのだ。

改良の有効性

 ボートの性能は十分ではなかった。これではシイラのいる海域にまでは漕ぎ出せない。戻ってこれなくなるのが恐ろしいからだ。
 しかし、前作のボートと比べると、格段の進化を遂げた。少なくとも、ギアが飛んだり、ペダルがもげたりはしなかった。そして、速度は2倍以上。何がそんなに良かったのか?
 ひとつは船体の全長を伸ばしたことだ。前作の3.2mから、1.5倍の4.8mへ。そのいっぽう、自重は65kgから逆に60kgへ削減。そのことによって海面下の船体の断面積を3分の2に小さくすることに成功した。水と接する表面積が広がったことによる摩擦抵抗の増大を差し引いても、これは効果があったに違いない。
 さらには、知恵を絞って設計した、ダクテッド・インナーブレード・プロペラ。このユニークなプロペラが、期待通りに効率的に働いてくれたに違いない。
 努力の甲斐あって、これらの改良点は、有効に働いたのだ。

浮かび上がった問題点

 しかし、問題点もあった。ペダルの重さだ。あるいはもっと感覚的な言葉で言えば、粘っこさと言ってもいい。確かにペダルを漕げばボートは進むのだが、漕いでも漕いでもスピードが乗らない。そして、急いで漕いでも、ゆっくり漕いでも、足にくるペダルの重さがきつい。
 ボートの速度を削いでいるのは、慣性の法則だけではない。それだけなら、じわじわとでもボートは加速してゆくはずだ。そこに水の抵抗が加わる。まるで強いブレーキを掛けながら自転車を漕いでいるようだ。
 へっぴり腰のSUPよりもスピードが遅いことには、がっかりした。あれは日曜日の海岸で講習を受けていた初心者なのでは? あんなふうに尻を突き出して、おっかなびっくりパドルを掻くよりも、どっかりと椅子に座って、体重を乗せてペダルを漕ぐ方がよほど力が入ると思うのだが、実際にはスピードで勝てない。
 ということは、それだけSUPの方が少ない水の抵抗しか受けていないということだ。なぜそのような違いが生じるのか。それはおそらく自重の違いだ。ボートは約60kg、いっぽうSUPのボードは10kg強。もちろんそこに乗り手の体重を加えなければならないのだが、自重に50kgもの差があれば、それはとりもなおさず排水量の差となり、そっくりそのまま水の抵抗の差となる。SUPに比べて、私のボートは常に約50リットルもの海水を余分に動かしつつ、進んでいかなければならないのだ。
 となれば、次の課題は明らかだ。軽量化である。それを第4期の目標とする。

第3.5期の設定

 しかし、またもやボートを作り直す前に、せっかく完成したこのボートで、もっと海上での経験を積みたい。そして実際の釣りも始めたい。沖まで出てシイラは無理でも、浅場のスズキになら使えるんじゃないか。当面はこのボートでやればいいじゃないか。
 それに、新たな計画もあるのだ。実際にはこのボート、風の影響は思ったよりも受けない。もともとが速度の出ない船体なので、向かい風で速度が落ちるという実感はない。しかし風は恐怖である。はるか沖に出て、岸に帰ろうとしたとき、漕いでも漕いでもボートは進まない。足が疲れて漕ぎ続けることができない。そこで足を休めたら、その間に風でまた沖に流される。そんなことの繰り返しで、岸に戻ることができなくなる。そして日が暮れて、遭難・・・。
 そこで発想を変える。風に負けないボートにしようというのではなく、風を味方につけるのだ。すなわちセーリング化、帆を張るのだ。
 それを第3.5期の取り組みとしよう。

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