海での釣り、しかもショアからのキャスティング・ゲームに、なぜわざわざ一般的ではないベイトキャスティング・タックルを選ぶのか? その理由は人さまざまだ。例えばそれは「好きだから」。釣りという趣味の世界では、他人を納得させる合理的な理由などいらない。
しかし、ベイトキャスティング・タックルを選んだ途端に、いくつもの制約がアングラーを悩ませる。バックラッシュする。ルアーが飛ばない。軽いルアーが使えない。ロッドの選択肢がない・・・。
これらの制約を背負って、海のベイトタックル使いは、道なき道をかき分けながら、進んで行かなければならない。
ベイトキャスティング・タックルにつきもののバックラッシュを克服するためには、意外なことだが、ロッドをこそ進化させなければならない。そう、リールではなく。より正確に言えば、退化からの脱却と言うべきかもしれない。あるいは進化の再構築か。
思えばその進化が失われたばっかりに、もっぱらリールのブレーキ性能に頼ってバックラッシュを防ごうとする指向が生まれた。そのためにますますベイトキャスティング・ロッドの進化は捨て置かれ、アングラーの親指は高度なサミングを忘れてしまった。
再びベイトキャスティング・ロッドを進化の軌道に乗せたい。メーカーがやらないなら、アングラー自身の手で。すなわちそれはロッド・ビルディング。どうせやるなら、今まで手に入らなかった長いロッドを作ることもできる。その一歩を踏み出せば、嘆きは挑戦に変わる。
しかし、いかにサミングに熟練してバックラッシュを起こさなくなったとしても、スピニング・タックルの飛距離にはかなわない。それに、たとえどんなにいいルアーでも、あまりに軽いルアーは使ってみることさえできない。これらはどれほどのハンディになるだろうか?
実はほとんどハンディにはならない。ベイトタックル使いの釣り方は、スピニング・タックルのそれとは少し違う。ベイトキャスティング・タックルは、アングラーを賢く育てる。後でふり返れば、かつて高くそびえた壁と思えたものは、今では乗り越えてしまったハードルにすぎなかったとわかる。
ベイトタックル使いが対峙するのは、スピニング・タックルなどではなく、あくまでも魚であり、フィールドの諸条件だ。そのとき、その場に、ロッドを携えて立っているなら、自ずと答えは見つかる。
このサイトは、2006年から8年間継続した“さよなら、アンバサダー”というサイトを前身に持つ。その続編と言ってもいい。しかしそのコンセプトは大きく異なる。かつてあれほど強く主張した作者の個人的な思いは、ここではむしろ自制し、排除する。それよりも、8年間の経験から普遍的なものを取り出し、より一層前進させることが目的だ。
それを表現したい。ストレートに。ピュアに。そのために必要なものは言葉だけではあるまい。写真や動画もフルに使う。それでも表現しきれないものがあるなら、現物を宅配便で送り届ける。そこまでやる。今まで誰もやらなかったことを、やる。
いったい何のために? それは愚問だ。今から何万年も前の原始人に、「あなたはいったい何のために洞窟の壁に鹿の絵なんか描いたのか?」と問うに等しい。問いの中に答えを含んでいる。「わからない」。それが答えだ。理由などあるはずがない。表現こそは人間の本源的な欲求のひとつなのだから。
このサイトの目的は、だから、私自身の解放にある。私はこの活動を通じて「自由」を手に入れたいと、心から願っている。